遊びがなんとなくありがたく思えてくる話④~あっちむいてホイでちょっと一息~

ごっこ遊びにものすごく熱を込めてしまったので閑話休題、あっち向いてホイについて考えてみることにしました。

ところであっち向いてホイって元々は祇園の遊びだったとはいえその後桂三枝によって初めに紹介されたらしく、その後萩本欽一が「スター誕生!」の審査決定までの場つなぎとして遊んでいたことがきっかけで広く遊ばれるようになったんだとか。

年代にすると1972年。なんとつい最近広まった遊びだったんですね。

ところであっち向いてホイはじゃんけんして勝った側が負けた側に対して「あっち向いてホイ」の掛け声とともに負けた側に向けた指を上下左右に向け、同じ方向を向いたら指をさした側の勝ち。違う方向を向いたらじゃんけんに負けた方はセーフ。という遊びです。

どうしてあんなに何度も行われるのか、そしてどうしてこんなにも流行ったのかを考えてみることにしました。

その中で遊びの中の緊張感、という点に注目してみるとそのヒントがありましたね。

これまでの紹介してきた遊びは体を使って相手を追いかける、追いかけられる衝動性とか、演じることによって社会を構築しようとする前提となっているとか考えてきましたが、あっち向いてホイについてはこれまでにない緊張感があるのですよ。

緊張感と集中は紙一重だと思うのですが、この緊張感がどうして生まれるのかというと

「駆け引き」ですかね。←でもココ、男性と女性だと認識が違うように思えます。

男性的な発想では駆け引きを楽しんでいると思うのですが、女性的な発想ではその場の盛り上がりを楽しんでいるので駆け引きの要素は女性に比べて男性の方が高い気がするんですよね。

この点については根拠もないのでこれ以上論じることはできませんが、でも駆け引きをシンプルに楽しめるという点では最適な遊びですよね。

緊張感は一種の不安感でもあるので、その後に起こりうることを回避したいがために生まれる感覚なのかなと。緊張感がある状態というのは常にリスクをはらんでいる状態なので、そうした緊張感への耐性を高めるためには良い遊びだと思います。

考えてみたらこの緊張感に耐えられないお子さんは結構いるんですよね。

緊張する→集中する→耐えがたさ となったときに分泌される物質の量が問題なのでしょうか。

一種の不安感に対する対処法を得る、という点ではヒントがありそうなのであっち向いてホイについて考えてみました。

掘れば掘るほど様々な側面が見えてくるのは、考察のだいご味かもしれませんね。

遊びがなんとなくありがたく思えてくる話~鬼ごっこ「とりあえずできるベーシックな遊び」~

あるメンバーと話をしていて「かくれんぼは最強の遊びだと思う。」という話をしていたら思いのほか盛り上がったので
、遊びについてわりと本気で考えてみることにしました。
ただ遊びについて考察するだけなので遊びの重要性を説くとか遊びが教育的にどう効果があるか、ということではありません(それは面白くないから)。

では、鬼ごっこから始めます。

出だしから「鬼ごっこかよ、普通だな。」みたいな声が聞こえてきそうですけど、実際鬼ごっこは話としてはそこまで面白くない。

でもなぜ鬼ごっこが最初に来たのかというととりあえずベーシックな遊びだし一番汎用性が高い遊びなんですよね。
っていうか、遊びの多くはこの鬼ごっこに通ずる、みたいなところは結構ある。

さらにこの「とりあえず」みたいな遊びって結構重要なんだと思うのです。
ただ2人いれば成立しますからね(つまらないけど)。1対多数が一般的。

さて、鬼ごっこの歴史を少したどってみることにしましょう。

鬼遊び,オニゴトともいい,子供の集団遊技の一つ。鬼追い,鬼平祭 (鬼が出現し大いに暴れたあと圧伏される) などの神事芸能の模倣から一般化したものである。1人の子供が目隠しをして鬼になり,その他は逃げ手として鬼に捕えられないように逃げまわる。「鬼さんこちら,手の鳴るほうへ」とか「鬼のいない間に洗濯しましょ」などと,鬼をからかう言葉を言ったりする。
(https://kotobank.jp/word/%E9%AC%BC%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%93-40854)

また、
「人間生活を脅かす存在としての<鬼>を追い払う追儺(ついな)などの祭事が、子どもの遊戯として伝承されたものと考えられる。」
とあります。
もとは鬼やらいともいう鬼払いの儀式でもあるそうで、中国から平安時代に伝わってきたと考えられています。

(同上)
また、「鬼事」という五穀豊穣を祝う宮中行事の儀式として行われていたとか。

いずれも「大人の儀式発」ですね。

でも本来追いかけたい衝動と追いかけられたい衝動って大人になってから芽生えるものではなく、子どもの頃に一般的にみられる行動の源泉だと思うんですよね。好奇心でさえこれ。

ってことは「鬼ごっこ」という名称の由来ではあり得ても、遊びとしての鬼ごっこの起源となりうるかと考えたときに疑問が残りました。
現に海外にも鬼ごっこに似た遊びは数多く存在しているようです(英語ではTagというらしい)。
だから遊びが儀式に転じたんでしょうね。

で、繰り返しになりますけど「子どもって素晴らしいよね!」ってことを言いたいのではないし「大人になるためには遊びが必要!」ということを主張したいわけではない。

鬼ごっこってルールが豊富にあるんですよ。思いつくだけで
1. 普通の鬼ごっこ
2. 氷鬼(タッチされたら凍って動けなくなる)
3. 増やし鬼(タッチされたら新しい鬼となる)
4. 高鬼(高いところにいる間は鬼はタッチできない)
5. ケイドロ(もはや別物だけど一応鬼ごっこが原型)
6. つなぎ鬼(タッチされたら手をつないで鬼になる)
7. 目隠し鬼(鬼が目隠ししている)

多分他にもローカルルールとかあったりバリアはったりでタッチしたのにわけわからないルールで「今のタッチじゃないし!」みたいになって喧嘩したりするんだけど、とにかく原理が「逃げる」「追いかける」だからあとはいくらでも変えられるんですよね。

それぞれの起源を追いかけるのはきっと困難なのですけど、こうした遊びもすべてが(仮に鬼ごっこの名称は貴族発祥だったとしても)大人から誕生したはずはないと思うのです。

 

ちなみにこうした鬼ごっこの多様性はブリューゲルの「子どもの遊戯」という絵にも描かれているようです。


(https://www.musey.net/3786)

 

最近だとスポーツとしての鬼ごっこも誕生しているので大人でさえ楽しもうと思えば楽しむことができる。
いずれにせよアイディア1つでルールをいくらでも変化させられるのも鬼ごっこが長年遊ばれている特徴の1つなのだと思います。

でも鬼ごっこって身体的な強弱に左右されるしいつまでも「鬼」でい続けるのって結構しんどくありませんでした?たいてい
鬼ごっこが終了するのはご飯の時間になるかチャイムが鳴るかといった時間制限があった場合、そして鬼が挫折するか鬼が捕まえるまでに時間がかかりすぎて飽きるパターン。

鬼って運悪く当たれば容赦なく挫折感を味わうんですよね。逃げる側は多数なので鬼が来なければ「まだ~?」みたいなことを言ってけらけら笑ってるだけでも楽しいし、それに飽きたら「もうやめようぜ~。」って言って辞められる。
鬼って投げ出しても悪者。捕まえきれなくても悪者。中途半端に何人か捕まえて疲労困憊したときも結局捕まえられなくて「あ~あ。」ってなる。

鬼って損な役回りだと思います。
考えてみればそういう損な役回りにある鬼がもっと面白くなるようにということで新しいルールが考案されたのかもしれないですね。
鬼が平等に戦おうとする。増やし鬼とかその典型だと思います。この辺りはそれを見てかわいそうだと思った大人の優しさがあったのかもしれません。

さて、鬼ごっこの1番の特徴はシンプルな遊びの形態である、ということでした。

本当に頭を使う必要がないんですよね。追いかけられるのが楽しい、追いかけるのが楽しいということの延長にあるだけなので。成長にとって鬼ごっこが必要かと言われればそれははっきり言っていらないんじゃいかと思います(暴言)。っていうくらいシンプルで融通が利くってことです。

というかそもそも「この遊びは絶対必要でしょ。」という遊び自体知らないのであったら教えてほしい。

そうはいっても鬼ごっこは引き続き代表的な遊びとして遊ばれていくだろうし、やっぱり楽しいんでしょうね。

学校で「一番盛り上がる鬼ごっことは何か!?」みたいな議論をしたら盛り上がると思う。やるなら大人の事情介入なしにして。いざこざありきで。

では総括。
① 鬼ごっこはそんなに大した遊びじゃない
② 遊びが儀式に転じたパターン
③「追いかける」「追いかけられる」が最大の魅力
③ シンプルがゆえに汎用性が高い
④ ルールを変えたのは鬼に対する人情
⑤ 議題にちょうど良い。

以上、鬼ごっこでした。
初回なので全部記載しました。次回からはもっと小分けにします。

新年のご挨拶

菅原道真公を祀る、亀戸天神社にて↓

新年明けましておめでとうございます。
本年も皆様のご多幸をお祈りします。

今年の目標は体制を構築することですが、一方で保護者の方々と理解を共にしていきたい、また、そのために必要な情報を発信し続けていくこととしています。

これらはこうゆう舎の思想、方法を伝え、提案することのみならず、保護者の方々と、そして関係者の方々と常に対話し続けることで生まれるものと考えております。

こうゆう舎の教育は、常にこうした対話の中からともにお子様の成長をサポートすることを大事にしています。

今後とも貴重なご意見、アドバイス等を宜しくお願い致します。

それでは2019年も皆様にとって実り多き一年となりますよう、本年も宜しくお願い申し上げます。

清澄庭園

東京都の九庭園の1つ。

清澄庭園へ行ってまいりました。
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html

清澄庭園入口から臨める泉水は、色づいた紅葉と緑の木々が綺麗に映し出されています。


磯渡りと呼ばれる石の橋のような上を渡るのですが、周りを鯉やカモが優雅に泳いでいます。

ところで松尾芭蕉の句碑が清澄庭園にはあるのですが、

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

なんだか懐かしい響きですが即座に思い出せず、句碑を見て「ああそういえば。」という状態でした。

しかし教科書で読むのと違ったのは、その情景がありありと思い浮かび、静寂に響く水の音を想像できたことでしょうか。

イメージを重ね思いを重ねるとはそういうことなのでしょうか。

冬の気配がいっそう、その気分をかきたてたのかもしれません。

湘南、鎌倉の風

平日の休みがとれたので、友人の一言、湘南の神社もいいですよ、の言葉に心が動き、出かけてみた。
あんなに有名なのに、子どもが遠出を苦手としていたから、行ったことがなかったので、今回かなりワクワクしていざ出発。

とってもいいお天気で、湘南の風が心地いい。

坂道を登り、階段を上ってまずお参り。
江島神社⛩は、安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三大弁天だそう。
さらに登っていくと、中津宮、辺津宮、奥津宮とある。
もともとは、552年に岩屋に神をまつったのが始まりで、3人の姫神をまつってあるとのこと。
奥津宮の多紀理比売命、中津宮の市寸島比売命、辺津宮の田寸津比売命の三神。古事記では、天照大神と須佐之男命の誓いの際に生まれたとか。
その後、仏教との融合とで弁財天女とされて、江の島弁財天として信仰されることに。

よ〜く観ると、神社の他にお寺もあり、詩人の碑もあちこちにあって、時代を問わず愛された場所なんだなぁと感じた✨

龍神と、何故か象のように鼻の長い動物が脇にいる。

坂道が多くて、断崖絶壁。

階段を降りると、波が打ち寄せる音と揺らぎにしばし癒される。

岩屋に入れるということなので、入ってみる。
蝋燭を灯して、奥へ奥へ進むと、最初に作られたというお宮があり、その先もずっと地中を穴が続いていて、なんと富士山の麓まで繋がっているらしい。そこにも、龍神がいた。

生しらす丼をいただいて。
湘南の海を満喫したら、
鎌倉へ。

以前にお参りしたことのある、銭洗弁天にお礼参りに行く。

お金を洗えることで有名ですね。
池にはやっぱり龍神さまが祀られていて、水が豊かに湧き出ている。

江ノ島神社と同じ家紋があるので、気になって聞いてみると、「三つ鱗」というらしい。
鎌倉時代の北条氏が家紋に使い始めたのが始まりとか。3つの鱗は、北条家の子孫繁栄を祈願した時に現れた大蛇が残したものだそう。

なんと、江ノ島と鎌倉がここでも繋がり、
時代を感じた一日でした😊

もっと探索したい場所の一つになりました✨

(筆)小木曽よりこ

青森への旅

古代文字に興味を持ったことから、縄文時代が、単なる狩猟と最終の時代でないかもしれない、と、何千年も続いたという時代のことを知りたくなった。縄文時代の遺跡「三内丸山遺跡」のことを知り、夏休みに行ってきました。

遺跡場所に立ってまず思ったのは、広い!ということ。集落としてきちんと機能していて、お墓や貝塚などが一箇所に集まっていました。一番驚いたのは、日本では育たないであろう、大きな木の柱が6本建てられた跡が残っていたこと。再現されていましたが、これは住居ではないので、なんのために建てられたものか興味深いです。

残された後から想像するのはロマンですね。

別の場所のストーンサークルも、祈りの場であったような雰囲気があり、何千年も前の縄文人がその場で踊っていただろうと想像するだけでワクワクしました。

(筆)小木曽よりこ

文明開化を支えた財閥の力~旧岩崎邸~

 

やってまいりました、旧岩崎邸
(東京都台東区)

ふらっと気ままに立ち寄っただけなのに思いのほか楽しむことができて驚きです都心の中で一息つくには絶好のスポット。

旧岩崎邸は東京都台東区にある洋館。足を運んだ時には工事中で入り口が残念なことに。それでも横の窓からのぞかせるランプが綺麗に光っていてですね。岩崎邸の目のように思えて怖い印象もありました。

建築家のJ・コンドルによってつくられた建物で、ジャコビアン様式の装飾やルネサンス様式のデザインを取り入れているようです。

そうはいってもどこがジャコビアンでどこがルネサンスで、どこがイスラムなのかを判断する知識はなく、いつか専門家に聞いて回りたいところ。

一番楽しかったのは階段をのぼって右手にある柱。
これがたまらず美しい姿をしているのです。なだらかにふくらむんだけれど、ふくらんでいるようには見えない。それでいて存在感がある柱だったのでついみとれてしまいました。

岩崎邸には洋館と和館があって、洋館は主に来賓客用。和館は岩崎家の住居として使用されていたようです。
和室は書院造。茶室もあってそこではお茶をいただくことができるのですが今回は金唐革紙に目を惹かれたのでそちらのしおりを購入。

金唐革紙は和紙に金箔で凹凸の模様をつくり、壁紙などにも使用されていた高級和紙。
岩崎邸では撞球室にも施されており、実際に使用されてた金唐和紙がしおりとなって販売されています。
使うにつれて柔らかくなり、いっそう革のような魅力が引き立つそうなので購入しました。

訪れた日が日曜日だった為、館内は写真撮影不可。平日に訪れてみようと思います。
そしてこれを機に都立9庭園を制覇しに回ろうと決心したのでした。

(筆)水野のりあき