遊びがなんとなくありがたく思えてくる話②~いないいないばあっ!「知育より優先されるべき事の発見」~

さて、これまでいないいないばあについてだらだらと述べてきましたが、今回はいよいよ「いないいないばあが知育として考えられるかどうか。」ということについて考察していこうと思います。

まずですが「いないいないばあ」は「大人が楽しそう」という大前提が無ければ成立しない、ということを改めて強調しておこうと思います。

前回の記事でも紹介したように赤ちゃんは大人の表情から自身の行動を規定します。したがって大人の働きかけが彼ら・彼女らにとってプラスとなる働きかけでなければなりません。

無表情のいないいないばあを繰り返すことは何も意味がないよ、ということです。

ところで(興味がある方は)「いないいないばあ 知能」みたいにググってみましょう。そうすると
著名(自分は存じ上げませんでしたが)な方の意見を筆頭に「いないいないばあはワーキングメモリを鍛える!」「より知能を育てる!」みたいなサイトが続くと思います。

ちなみにワーキングメモリとはある作業を遂行するために脳が一時的に保存しておくことができる記憶量のことです。広島大学のサイトが詳しく簡潔にまとめてくれているので掲載。
https://home.hiroshima-u.ac.jp/hama8/working_memory.html

いないいないばあがどのようにワーキングメモリに影響を与えているかというと
➀赤ちゃんもしくは大人の顔を隠す←「!?」ってなる瞬間
➁しばらく時間が経つ←赤ちゃんが「???ワクワク」ってなる時間
③ばってなる←「きたーーーーーーーーー!」ってなる瞬間 この➁から③の間に
「赤ちゃんは大人が、自分が期待している表情を見せてくれるかもしれない」という推論と 「こんな表情を見せてくれるだろう」というイメージの保持を行っているので 情報の保持と処理を行うワーキングメモリが鍛えられるんだという話です。

自分は脳の専門家でもないし今はあくまで遊びの観点からいないいないばあを考察しているので詳細に述べることはできませんが、ワーキングメモリに影響を及ぼす、という点では理解できますが知能の発達を促進するとは思いません。 それはですね

  • ➀いないいないばあは大人が遊ぶための遊びであり、遊ぶ感覚の共有が優先される
  • ➁ワーキングメモリに影響しているかもしれないが、日常生活以上に特出して影響しているとは考えにくい。

➁については「やらないよりはあったほうがいい。」程度にしか考えていないがゆえの結論ではあると思いますが、そんな単純に知育と結びつけない方が良いのでは?という意味です。

さて➀ですがいないいないばあは大人が遊んでいることが重要です。それに基づいて遊ぶ感覚の共有が為されていることの意味があるのです。
近年「学習には遊びが大事」ということが強調され始めました。それは同意できます。あえて加えるとすれば自分は「遊び心は大事」とし、遊び心を主軸に置いて考察しています。

ところで遊び心が生来備わっている機能だとすると、それは適切な形で引き起こされなければなりませんし、どこかのタイミングで「遊び心という内的力がある」ということを体感しなければなりません。

極端な話ですよ。周囲の大人が全員無表情で、あるいは人との接触なしで、食事や適切な環境は確保され、その中で育ったとします。恐らく能動的な動きはいずれ見られるようになるでしょう。ただしそのとき、感情表現があるかどうかというと疑問です。やはりいくらかでも感情表現をするようになるためには人との関りが、そして豊かな感情表現が行われている中での関りが重要ということになります。

遊び心も同様に、遊ぶ体感を得る中で身につけ引き起こされるものですよねきっと。
だから遊び心のない遊びは、遊びとして赤ちゃんに伝わらないし、遊び心を持たない大人がいないいないばあを実行してもそれは遊ぶ感覚を共有することにならなので遊びとして成立しないのではないかと思うのです(演技がやたらうまかったら話は別ですが)。

言い換えれば多くの大人がいないいないばあを赤ちゃんの前で行うことは自ら『自分にも遊び心はあるんだよ!だから遊びましょう!』ということを自白していることになるんですね。

 いや、とても良いことだと思います。自分もやるし。だから遊び心にそって学習してるし。だから遊びについて考えるとき、子どものとの関係性においても「大人の遊び心」はもっと表現されてしかるべき。

 もちろんただ騒ぎましょうということではなく。

知性をもって遊びを表現できるのが大人なのですから。そして実は多くの大人が自らの体験を通して実証しているということが、いないいないばあへの考察を通してお伝え出来たかと思います。

学習に遊び心が大事と語るからにはまず己が遊んで遊び心の何たるやを示し、何を学んでいるかを示しましょうということですね。

➁ですが、ワーキングメモリを鍛えるかもしれないが、日常生活以上に特出して鍛えているとは考えにくいです。


成長過程にある脳は常に多くの刺激を受け続けています。見慣れていく環境の中でいかに自分を確立させていくか懸命に生きているのですね。
その中でよく面倒を見てくれる人があらわれ生活習慣が落ち着き始めるとそこに生まれるのは「安心感」ですよね。

この安心感はこの先3歳までの体験によって著しく損なわれる危険性はありますけど、少なくとも ➀常に面倒を見てくれる人がいる ➁食事・環境が保障される ③生活が習慣化される となったら第一段階クリアなわけですよ。最低限の安全は確保されるから。

ところがまだ自分で ①ご飯を食べることはできない ②移動することはできない ので、自立のステップがここから始まるわけですよね。

すると自分の活動範囲を広げるために自発的な行動を起こし始める。この時点であらゆる脳の活動が十分に行われているのであって、さあいないいないばあで脳を鍛えましょうなんてやったところで特別な知育につながっていると考えにくいんですよね。忘れられるし。だからないよりは合った方が良い程度にしか思えない。

 というかどうして大人がやりたがるのかということに注目したら、知育以上に注目すべき事柄が見つかってしまった。

ありきたりな結論で面白くないかもしれませんが、

「いないいないばあは脳の発達より遊び心伝承の第一歩」として捉えた方がしっくりきました。

では総括

➀「いないいないばあ」は赤ちゃんをあやすための遊びではない
➁ましてや知育につながる遊びというわけでもない
③遊び心伝承の第一歩として重要
④さらに大人の「遊び心の自白のタイミング」として超重要

ということでした。

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