オーダーメイドの学習と感情への理解

学習環境がオーダーメイドであるということは、科目設定や進度が個別的であるということに限りません。特に非定型発達の彼らにおいては、それ以外の要素である感情理解という観点はとても重要であるように思われます。

内的静穏を自らの手でもたらすことが難しい彼らにとっては、しばしば感情のコントロールが難しく周囲の刺激を極端に増幅させて受け取る傾向があります。
増幅された刺激は彼らの不快感を高め、この不快感は自他いずれかの攻撃性へと転化します。

客観的に見れば乱暴さ、粗暴さ、そしてわがままと映るけれども、苛立ちの根本原因がどこにあるのか、まずは辿るべきでしょう。

しかし彼らから本心を導き出すことは容易なことではありません。
転化された強刺激は彼らにしてみればすべてが本心なのであって、根本にたどり着くまでには時間がかかるものだからです。

その間、様々な形に歪曲して表現されますが、このいずれを叱られても諌められてもなだめられても、本心でないので意味のある形で彼らに届くことはありません。

関与する側にすれば非常に遠回りな道のりですが、しかしこの遠回りを経なければ彼らは刺激を消化することができない。したがって遠回りすることが彼らにとっては最短である、ということになります。

感情へのアプローチとは基本的に一筋縄ではいかないものです。ましてや感情を覆い隠すことに慣れた大人は、より彼らと対極にいるとまずは考えるべきでしょう。

そしてこうした感情へのアプローチが行われつつ教育されることは、将来の感受性の豊かさや自己認知につながりますから、やはり幼いうちから大事にされなければなりません。

これまでの経験則からすると、非を受け止めづらい彼らはより繊細にアプローチを試みる必要があります。10分15分で十分に自己表現
できることはまずないでしょう。少なくとも30分。1時間を標準とみるべきです。
その間、積極的に聞き出そうとする必要はありません。いくらか形を変えて「自分の感情は落ち着かないのだ。」ということをアピールしてきますが、それについては深く探り当てることもありません。

本心でない感情表現は「急ごしらえ」なので、唐突です。それは感情を表現するための好都合な出来事をそのまま取り上げたに過ぎない、ということです。

ですからそこに対して過剰に反応することは互いに無益であって、むしろ重要なのは「深追いにならない応答性」があることです。

こうしたコミュニケーションを幾度か繰り返すことでやがて彼らは「本心を語れる」ところまでたどり着き、実際に表現する、という機会を得ます。

オーダーメイドの学習ということを考えたとき、個別の科目設定や進度の設定はもちろんのこと、何よりもこの感情理解や関係性のあり方という点が、オーダーメイドの真髄であるといえます。そしてAIでさえ固唾を飲んで見守る、人間的な関わりの一場面であるといえます。

(筆)水野のりあき

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