ユースワーカーの存在意義

ユースワーカーは一言で言えば「年齢が少し上の身近な人」です。ただ、もう1つ掘り下げると「今の自分を一歩先に進めてくれる存在である。」という点が何より欠かせません。
実はこの少し上の身近な存在、というところがとても重要なので、ここについてお話ししようと思います。

一般論ですが、私たちは自分の置かれた状況や環境から遠く離れた人たちに対しては憧れや畏怖の念を抱き、美化したり反対に醜悪な存在としてみたりします。これはおそらく、そのような対象を見たときに想像が広がり本来の姿に脚色されていることと関係があります。
いずれこうした人たちを目標として自身の立ち振る舞いに変化をもたらすことは珍しく、多くは雲の上の存在として憧れる中で実際に出会い、さらに目標として強化されるか想像と違うことに失望するかのどちらかだろうと思います。憧れ通り、というのも中々ないでしょう。

多くは目の前の対象から、自身の置かれる未来を想像します。したがって目の前に出会う大人の存在は、それこそ想像以上に子供たちに対して影響を与えていると私は考えています。

ユースワーカーは少し上の身近な存在であり、20年30年先の大人とは違い、数年のうちに訪れるかもしれない未来の姿です。どの人物に憧れるかはその子次第ですが、少なくとも「数年後には自分もこうなるかもしれない。」という姿として捉えられることは間違いないでしょう。

中学・高校の先輩後輩関係は、こうした後輩の「少し先の未来」に対する想像がうまく機能したとき、良い関係が生まれるのだと思います。

さて、ここで気になるのは少し上の存在がどのようにあるべきなのか、ということです。

堅苦しい言い回しをしましたが、基本的には「自分の人生を歩んでいる。」という姿が理想的です。
なんて当たり前のことを、と思う方もいるかもしれませんが案外自分の人生を歩んでいる人は少ないのです。そして少し先に歩んだ未来で起こった出来事にを伝え、あるいは学んだことを教え、時には励ますこともあります。そして互いのことを分かち合う。

だから「傾聴」や「共感」というのは後回しで良い。
むしろ初めからこれらの方法に頼りすぎると、深く関係性を築けなくなることがあります。
だからといって自分の話をする際には自慢になってはいけないし、自虐的でもいけない、さらに一方的でも良くなければましてや悩みを打ち明けることはありません。ここに話題の引きだしを多く持っておくべき理由があります。

ただ、自分の人生を歩んでいるということは同時に提供できる話題があることを意味します。何もない人生から話題は生まれませんから。

今の自分を一歩先に進めてくれる存在である、これがユースワーカーの最も理想的な姿です。

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