「八つ当たり」の背景理解

私はこれまで児童から八つ当たりを受けたことが何度もあります。今でも「邪魔。」とか「帰って。」とか平然と言われてきましたし、今でも言われています(もしかしたら本当にそう思われているかもしれません)。

八つ当たりとは読んで字のごとく、無関係な人に対して四方八方に当たり散らすことです。そして児童福祉にあってはこうした「八つ当たり」が、信頼関係の第一歩であるように語られることもあります。

そのときの筋書きはおおむね以下のような筋書きになります。

①児童が不機嫌、やたらとつっかかってくる
②特に思い当たる節がないので「八つ当たり」と解釈する。
③しかし八つ当たりは信頼関係の証拠である
④なぜなら感情表現ができてるのは特定の人物がいる、もしくは安心できる環境に身を置いているからである。

感情表現は人が社会生活を営むにあたって重要な要素です。だから感情表現を否定することはありません。しかし支援者としてはもう一歩踏み込んだ考え方をしたいところです。

感情の在り方というのは個々の力量、コントロールによってタイプが異なると思いますが、なんにせよ短気な人がいれば気の長い人もいますし、情にあつい人もいれば淡白な人もいます。この感情のありようは一様ではありません。

なぜ感情ということを重視しなければならないかというと、感情とは人の持つストレートな表現でもあるからです。このストレートな表現が見られたときには基本的には素直な気持ちが表現されたと考えられるので、八つ当たりも素直な自身をさらけ出したことと捉え、信頼関係の証と解釈されるのです。

しかし八つ当たりとはある特定の人物に対してのみ向けられる感情ではなく、あわよくば通りすがりの人に対してでさえ向けられることがあります。つまり良くも悪くも純粋に感情的になっている状態です。

したがって支援者に向けられた八つ当たりもすぐに「信頼関係の証」という答えを落としどころにしてしまうことはできません。むしろこの先に支援の醍醐味が待っているといえます。

例えば普段から関わっている児童に突然「今日はあんたと話したくない。」と言われたとします。会って突然です。
まず自身との関係において何か問題があったのかと考えます。このときに自身との関係性を冷静に振り返ることができることも重要です。
さて、このときに特に思い当たる節がありませんでした。では何か別の空間で感情を逆なでされるような出来事があったのでしょう。
もしそのように考えることができたのであればまずは改めて声をかけてみることが大事です。
ですが声のかけ方もときには細心の注意を払わなければなりません。特に関係性を築けていない状態で感情に触れることが大きな怒りを招くことにもなるからです。

感情表現はとても重要なことです。ですが支援者によって不用意に表現させされた感情は双方にとってメリットがありません。だから声をかける前に
①この前になにがあったのか
②今の感情はどのような感情か
③その感情は環境によるものか、内在している動機によるものか
④その感情は解決すべきか
⑤どのような関りを持つことが適切か

など、こうしたことを想定して事の対処に当たることが重要です。そして解決に導いたりアドバイスをしたりというような「力になれることを期待しないこと」も大事なカギです。
感情的な状態は発散や昇華などによって解消されるのを待つことでしか解決できません。もしくは自身の中で一定の解釈が得られるまではわだかまりとして残るのです。
受け流す力も支援者にとって重要な力の1つです。

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